火山・噴火の歴史:雲仙岳

雲仙岳について

雲仙岳(うんぜんだけ)は、日本の九州地方に位置する火山であり、長崎県に属しています。その名前は、美しい雲海が見られることからきています。この地域は自然豊かで、雄大な山々や温泉などで知られていますが、その中でも雲仙岳は特に重要な存在です。

位置

雲仙岳は長崎県と熊本県の境界に位置しています。具体的には、長崎県南部の島原半島と熊本県北部の阿蘇地方の境にあります。周辺には、他にも有名な火山が点在しており、その中には九州屈指の観光スポットである阿蘇山も含まれます。

地形と地質

雲仙岳は、カルデラ形成後の中央火口丘で構成されています。カルデラは、過去の大規模な噴火によって形成された火山口のことであり、その周囲には火口丘が形成されます。雲仙岳の周辺には、古い噴火口の形跡や溶岩台地が見られ、その地形は火山活動の歴史を物語っています。

自然環境

雲仙岳周辺は豊かな自然環境が広がっています。標高の高い場所では、高山植物や野生動物が生息しており、登山やハイキングが楽しめます。また、温泉地としても知られており、地熱活動によって湧き出る温泉が多数あります。これらの温泉は、観光客に癒しとリラックスを提供しています。

雲仙岳の形成史

雲仙岳の形成は、約20万年前に始まりました。この時期、地下深くにあるマグマが地表に噴出し、火山が形成されました。最初の噴火は、火山の基盤を形成し、その後も定期的に活動が続きました。これらの火山活動によって、雲仙岳の主要な噴火口や地形が形成されました。

雲仙岳の噴火の歴史

1663年の噴火

1663年12月に普賢岳北北東でマグマ噴火が発生し、北方へ溶岩が流出しました(古焼溶岩)。1664年春には普賢岳南東山麓600メートル地点の低地、九十九島加工から出水、安徳川原へ氾濫し、死者30名余を出しました。

1792年の噴火 島原大変肥後迷惑

1792年の噴火には「島原大変肥後迷惑」と呼ばれる日本有数の自然災害が発生します。前年からの地震に続き、1792年の2月10日に普賢岳で鳴動があり、山頂付近の地獄あと火口から噴気、土砂を噴出します。3月1日には新焼溶岩の流出が始まります。3月25日には古焼頭からも噴煙が出て、地震も時々発生していました。

5月21日に強い地震とともに眉山が大崩壊を起こします。3億4,000万㎥の大量の土砂が有明海に流れ込み、高さ10メートル以上の津波を発生させました。津波は対岸の肥後・天草を襲い、返し波が島原を襲って甚大な被害を出しました。死者は約1万5,000名とされています。

1991年の噴火と火砕流

1990年から地震が群発し、91年には噴火活動が本格化します。2月12日に屏風岩河口で噴火、3月から5月にかけても地獄跡火口と屏風岩火口で頻繁に小噴火が起こります。5月12日からは初めて山頂部で群発地震が始まり、次第に増加、20日には地獄後加工に溶岩ドームの出現を確認します溶岩ドームは次第に成長していき、24日以降、火砕流を頻発するようになります。6月3日には大規模な火砕流が起き、火砕流から発生する火災サージにより、報道関係者や火山学者、消防団員など43名の死者・行方不明者を出しました。これ以降も火砕流や雨による土石流災害が度々発生しました。

1992年以降も溶岩ドームの成長・崩落・火砕流の発生が続きます。95年には溶岩ドームの変化がなくなり地震も急減し、溶岩噴出は停止しました。この間の溶岩噴出量は2億㎥、火砕流の回数は約9,400回に昇りました。噴火活動は96年まで見られましたが、それ以降は火山性微動や小規模な雰囲気活動が見られる程度になり、活動は落ち着きを見せています。

参考文献

『日本の火山』, 山と渓谷社, 2016年

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